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大学等における腎症候性出血熱予防指針


平成13年5月


はじめに

 腎症候性出血熱はハンタウイルスを原因とし、不顕性に持続感染したげっ歯類が糞尿中に排泄するウイルスを感染源とする人獣共通感染症である。本症はユーラシア大陸全域で現在なお年間10万人以上の患者発生が報告されている。我が国では、1970年代に実験用ラットを感染源とする実験室型の流行が頻発し、1984年までに全国22施設で合計126名の感染者と1名の死者を記録した。発生施設では、施設閉鎖と多数動物の安楽死処分によって研究遂行に甚大な障害がもたらされた。

1981年6月、山村雄一、大阪大学長を座長とする「人獣共通感染症の検査体制に関する打ち合わせ会」は、我が国の大学等の実験動物関係者の間に発生している腎症候性出血熱(当時は、流行性出血熱(韓国型出血熱)と呼称されていた)の抜本的予防対策を実施するため、「流行性出血熱(韓国型出血熱)予防指針」と「流行性出血熱(韓国型出血熱)診断の手引き」を策定した。「流行性出血熱(韓国型出血熱)予防指針」は、国立大学動物実験施設長会議において了承され、以後、動物実験施設での本症対策の指針として用いられてきた。

上記予防指針策定当時、腎症候性出血熱原因ウイルスは韓国高麗大学李教授らによって分離された韓国型出血熱ウイルスのみであったため、人と動物の血清診断は、李教授が開発した間接蛍光抗体法(以下、IFA法)に基づき、大阪大学微生物病研究所によって実施されてきた。1982年、国立予防衛生研究所、北海道大学獣医学部及び札幌医科大学の研究チームによって、感染ラットの肺組織からハンタウイルス、SR-11株、を分離することに成功した。以後、類似のウイルスが実験用ラットやドブネズミから分離された。これによって、我が国で流行したウイルスを抗原としたIFA法などの血清診断法が確立し、感染調査の実施と検疫の強化によって実験室型の流行は激減し、1984年以降、患者発生の報告はない。

しかし、げっ歯類を対象にした疫学的調査によって、我が国の主要港湾地区の多くに、陽性ドブネズミが生息していることが明らかになった。また、不顕性の抗体陽性者や抗体陽性ラットが時に発見され、そのたびに動物実験施設の一時的閉鎖と多数ラットの安楽死処分が繰り返されてきた。特に、抗体陽性ラットでは、その多くがIFA法で低い抗体価を示したことから、IFA法の感度、特異性および再現性の検討が強く求められてきた。このため、ハンタウイルスの遺伝子のクローニングとそれによる組み換え蛋白を用いた安全なELISAやWestern blotting法が確立され、複数の血清診断法での確認検査が可能になった。また、(財)実験動物中央研究所では実験用動物を対象としてIFA法による委託検査への対応も実施されるようになった。

一方、従来の予防指針では患者発生時の対応のみが記され、抗体陽性動物発見時の対応が記載されていなかった。また、1998年の感染症予防法の改正(感染症新法)によって、腎症候性出血熱は、診断した医師によって届出が必要な四類感染症の一つに分類された。このため、人の診断法とその後の対応は感染症新法と関連法規等に基づいて実施されることとなった。

このような、従来の経緯ならびに技術的また社会的変化から、これまでの「流行性出血熱(韓国型出血熱)予防指針」の見直しが必要となった。本指針は、文部省科学研究費補助金基盤研究B「腎症候性出血熱ウイルス抗体検査システムならびに汚染対応策の検討」(前島一淑 班長)によって、国立大学動物実験施設協議会、公私立大学動物実験施設協議会及び実験動物中央研究所に所属する班員が中心になり検討・改編されたものに基づき、国立大学及び公私立大学動物実験施設協議会で了承されたものである。


参考文献:有川二郎、橋本信夫
「腎症候性出血熱」
  ウイルス、36巻 第2号 233-251頁,1986年


目 次

1.目的
2.留意事項
3.実験動物の感染診断
4.抗体陽性動物が発見された場合の措置
5.腎症候性出血熱発生時における措置
6.抗体陽性ラットや腎症候性出血熱患者発生後の施設使用にあたっての措置
7.報告
8.関連資料
  i) 流行性出血熱(韓国型出血熱)診断の手引 (昭和56年6月)
  ii) 「感染症新法に基づく医師からの都道府県知事等への届出のための基準について」(平成11年3月30日)

1. 目的

 本指針では、実験用動物を介した腎症候性出血熱発生防止のために遵守すべき基本的事項および人や動物の感染診断法と発生時の措置についての考え方を定めることを目的とする。


2.留意事項
(1)導入される実験動物や使用される研究材料の確認
 1 実験動物生産業者又は他の動物実験施設などからラットの購入又は分与を受ける際には、購入又は分与をする施設におけるラットの抗体検査書等によって、それらのラットがハンタウイルスに感染しているおそれがないことを確認する等の検疫を実施する。
 2 ラット由来腫瘍細胞等の研究材料にハンタウイルスが感染している場合があるので導入又は使用にあたりハンタウイルスの感染がないことを確認する。
(2)実験中の飼育動物の確認
飼育中のラットについても定期的にモニタリングを実施し、抗体検査等によって当該動物が陰性であることを確認する。
(3)実験動物飼育管理者、飼育従事者及び動物実験関係者(以下、実験動物飼育管理者等)の注意 実験動物飼育管理者等が、身体的異状を感じた場合は、別添「流行性出血熱診断の手引」や「感染症新法に基づく医師からの都道府県知事等への届出のための基準について」により、自らも症状を確認しつつ速やかに医師の診察を受け、適切な措置を受ける。
(4)動物実験施設等における措置
 1 施設内及び周辺の清掃や消毒、野鼠や昆虫等の駆除を定期的に行うとともに、十分な換気を保持するため空調機等の点検を励行し、適正な環境条件の保持に努める。
 2 野鼠等からの汚染を防止するため、動物実験施設等においては外部進入防止策及び施設内のラット等の逃亡防止策を講じる。又、同一施設内においても飼育数の過密化をさける。
(5) 安全管理体制の確立
 1 実験用動物の取扱い等に万全を期すため、動物実験施設においては、安全管理委員会(又はそれに準ずる委員会)を設置するとともに、飼育実験室等の安全管理基準などを作成する。
 2 安全管理委員会は、関係者に本予防指針及び安全管理基準等の周知徹底を図るとともに、全学にバイオセーフティーに関する委員会がある場合には当該委員会とも適宜連絡をとる。
 3 実験動物飼育管理者等の定期的健康診断を実施する。なお、健康時の血清を採取し、凍結(-20℃)保存することが望ましい。


3.実験動物の感染診断
(1)ハンタウイルスは多種類のげっ歯類に感受性を示すが、これまでの実験室型の流行ではラットのみが感染源であるため、検査対象動物をラットのみとすることは合理的である。しかし、その他の動物種についても必要に応じて専門家の意見等を参考にして検査対象動物に加える。
(2)感染ラットは不顕性に持続感染しウイルスを糞尿、唾液中に終生排泄するが、同時に高い血中抗体価を終生維持するため、感染診断には抗体検査が最も適する。
(3)抗体検査には市販のELISAキットを用いた自家検査もしくは外部委託検査によって対応可能である。検査の結果、陽性と判定された場合、同一血清を蛍光抗体法やWestern blotting 法によって確認検査することが望ましい。それらの実施にあたっては、(財)実験動物中央研究所ならびに北海道大学大学院医学研究科附属動物実験施設と協議する。
(4)血清の取扱と送付
   ハンタウイルス感染が疑われる個体からの血清の取扱と送付は「大学等における研究用微生物の安全管理マニュアル」における安全度2として行う。


4.抗体陽性動物が発見された場合の措置
(1) ラットの搬出入を禁止する。
(2)全てのラット飼育室を対象に抗体検査を行う。この際、飼育期間の長いラットを検査動物として選択することが望ましい。
(3)原則として同一施設内で飼育されている全てのラットを安楽死処分する。安楽死処分するラットの飼育範囲を限定する場合は、専門家等の意見に基づき、各施設や安全委員会等の責任のもとで行うことが出来る。関連する動物のうち学内に分与されているものも安楽死の対象とする。安楽死後、焼却処分もしくは高圧蒸気滅菌(オートクレーブ)処理し、さらに、施設内の消毒を実施する。学外に関連するラットが分与されている場合は、被分与施設にも連絡する。
(4)感染源や感染拡大ルートの特定に有効と考えられる動物について、血清、肺組織などの採取につとめる、血清はー20℃以下、肺組織はー40℃以下で保存することが望ましい。解剖が困難な場合、採血後、安楽死させた動物個体全部を密封のうえ凍結保存(ー40℃以下が望ましい)してもよい。
(5)床敷等から発生する排泄物及び塵埃の吸入等による感染及び皮膚を介した接触感染等を防止するため実験動物飼育管理者等は飼育室専用、及び実験の内容に応じて実験室専用の帽子、マスク、作業衣、手袋、履物を着用し、室外に退出する場合は、これらを着替え、うがい、手指等の洗浄、アルコール等による消毒を励行すること。なお、これらの実験衣等は適宜、洗浄、消毒または高圧蒸気滅菌(オートクレーブ)を行うことが望ましい。
(6)疲労等身体の悪条件の下に飼育及び実験を行った際の発症例が少なくないことから、飼育・実験等を行う場合は、健康状態に留意し、良好な状態において従事する。
(7)実験動物飼育管理者等以外の飼育室・実験室への立入りを規制する。
(8)腎症候性出血熱はハンタウイルス感染動物に由来する排泄物、血液、組織等及びそれらが付着した物品から感染するため、抗体陽性動物が発見された場合、その取扱いは慎重にし、不要になった血液、組織及び排泄物、死体等は焼却処分もしくは高圧蒸気滅菌(オートクレーブ)処理する。
(9)腎症候性出血熱病原体であるハンタウイルスは熱に弱く、さらに消毒用アルコールでも容易に不活化されるため、抗体陽性動物が発見された場合、使用済ケージ(床敷も含む)、給水瓶、実験用機器等には原則として高圧蒸気滅菌(オートクレーブ)を施し、その他アルコール消毒等も励行する。


5.腎症候性出血熱発生時における措置
(1)実験動物飼育管理関係者等がハンタウイルスに感染した疑いがあり、腎症候性出血熱に類似の症状を呈した場合、速やかに医師の診断を受けさせる。その際、動物実験関連の業務等に従事していることを述べ、別添の「流行性出血熱診断の手引」や「感染症新法に基づく医師からの都道府県知事等への届出のための基準について」を参考のために示すこと。
(2)医師の臨床的診断から腎症候性出血熱感染が疑われる場合、感染症新法の規定に基づき、診断した医師は都道府県知事等へ届出るとともに国立感染症研究所へ連絡し確定診断を受ける。
(3)実験動物飼育管理者等の施設内立入を規制する。
(4)ハンタウイルス感染による腎症候性出血熱の発症が確認された場合、実験動物飼育管理者等は医師の診断を受けるとともに必要に応じて抗体検査を行う。
(5)ラットの抗体検査も行い、陽性例の発見につとめ感染ルートの特定を試みる。
(6)抗体陽性ラットが発見された場合、「4.抗体陽性動物が発見された場  合の措置」に準じて対応を行う。


6.抗体陽性ラットや腎症候性出血熱患者発生後の施設使用にあたっての措置
  以下の諸点を確認後、動物の搬出入制限、実験動物飼育管理者等の施設内立入規制を解除する。
(1)施設内を再度消毒する。
(2) 安全対策の再点検、必要に応じた見直しを行う。
(3) 可能な限り感染源の特定や感染拡大ルートの特定に努める。


7.報告
(1)腎症候性出血熱の疑いのある者または、抗体陽性動物が発見された場合、概要を速やかに文部科学省研究振興局学術機関課に電話報告する。
(2)新聞発表等を行う場合は、事前に学術機関課へ連絡する。